5月15日 ドキドキの初診日。虎ノ門病院へ
朝一で虎ノ門病院へ電話。診察を受けたい旨を伝えたところ午前中(確か、10時半か11時頃)までにこれるのであれば本日、診察可能とのことだったので急いで家を出発。南北線の溜池山王駅で降りて、そこから徒歩で向かう。途中、赤坂インターシティAIRの緑の小道を歩くのですが、緑の小道がとても綺麗で、心がすっかり洗われるような心地に。オシャレな路面店レストランもあり、元気になったら、ここ絶対に来よう!!とお気に入りの場所を見つけてしまいました。
虎ノ門病院の建物は、2019年に新設されたようでめちゃめちゃ綺麗でした。病院ではあるけれど、ホテルみたいに整然とし、事務の方も仕事が早くテキパキ。入院できるのが、ここで良かった!と思いました。でも、やはり多かったのは自分より年上の方々。なんで私は病院にくることになってしまったのだろうかと、少しだけ悲しい気持ちになりました。ちなみに、心なしか、間脳下垂体外科の診察を待っている、自分以外の患者さんは比較的年齢層が若かったような気がします。
初診の予約をとり、時間になると呼ばれて、間脳下垂体外科のお医者様と面談。先生は早口でしたが、説明が簡潔で端的でわかりやすくベテラン大工さんみたいな雰囲気。私の祖父が外科医だったのですが、顔とか話し方の雰囲気が似ているなぁと思い、勝手に親近感を覚えました。
この時に、先生に目が見えない以外の私の症状をお伝えしました。私が自覚していたのは、左目が見えないこと以外にも多々ありました。
- 病的に疲れやすい(実際、病気だったのですが笑)
- 集中力が続かない(仕事中、数か月前から明確に感じるようになってました)
- 手や足先、舌が常に痺れている(これは高校生の頃からです…)
- 膝が痛い!(じっとしてることに耐えられずに、思わずさすってしまう)
そして、先生に「生理来てる?」と質問されたので、最近リズムが乱れていて2か月こなかったこともあると伝えると、そういった生理不順 も下垂体腫瘍の影響というお話を聞きました。また、私は最近体重が10キロ増えてしまったのですが、体重が増えることも影響を受けた話かもしれないとのことでした。コロナになる前は、必死でエステに通って食べるものに気を使って、運動していたというのもありますが、最近そんなに食べてないのにすぐ体重が増えてしまうんですよね‥。
足腰が辛かったり、身体が痺れていることについて先生が「苦労してるね」と少し同情してくれたのが嬉しかったです。すっかりこんな調子で生きることに慣れてましたが、高校生の時から、謎の不調や痛み痺れに悩まされ続けてきたので、苦労して生きている自分を、思い出した感覚になりました。痛みの声を押し殺して、どんな時でも元気と気合で我慢してきたんです。でも、本当は辛い。辛くて辛くて堪らない。でも、いちいちそこに気を取られていたら自分の心が持たなくなってしまう。鬱っぽくなってしまう。だから気にしないようにする。だけど、本当の本音は、周囲にもわかってもらいたかったんだと思います。その想いに意図せずふれてもらった感じがして、なんだかそれだけで救われた気持ちになりました。ありがとう、先生…🌟
その日のうちに、ホルモンの負荷試験を受けることに。ベットにわって、時間差で4~5回?くらい採血がありました。採血の前に検査薬を入れるのですが、頭がぼーっとなるかもしれないですという説明を聞いており、確かに顔が熱くなる感じがして怖かったのですが、何とか気持ちを無にして乗り切りました。注射が嫌いで、やだな~と思いましたが、ちくっとしたのは最初だけ。採血中は一度入れた針から連続して採るスタイルだったので全く痛くはありませんでした。
すぐに結果の説明を受けることに。成長ホルモンが人よりも全く出ておらず重度のホルモン不全であるということでした。先生は資料を用いながら丁寧に説明をしてくれました。そして、この症状がある場合は、「下垂体前葉機能低下症」ということで指定難病になるため医療費助成が受けられることも知りました。通常3割負担が、申請後に2割負担になるとのことで入院前に急ぎ申請を行ってほしいとのことでした。
すべての検査、説明を受けた後で手術日をいつにするかという話になり、最短で来週OKと言われましたが仕事のこともあるので上司と相談して、また連絡しますと約束。想定外の負荷試験で、病院を出たのは、結局、16時頃になりました。ご飯を食べてはいけない検査だったのでお腹はペコペコ。地元の駅に戻り、すき屋の牛丼をペロリと食べ、本当はその後仕事をする予定でしたが、採血ですっかり疲れていた私は休ませてほしい旨を上司に報告し、許可をとりその日はそのまま家で安静に過ごしました。
5月16日 指定難病の申請を区役所へ!
病院から指定難病申請の手続き早めにしてくださいね、と言われていたので区役所へ。申請をすれば、医療費の個人負担が2割で済むため手続きは少しめんどくさかったですが、やっておいて損なしでした。申請には、①臨床調査個人票(病院でもらえました)②住民票③所得課税証明書④マイナンバーなど必要な準備書類が必要で、仕事中に中抜けして手続きを完了しました。
5月25日・6月1日 入院前検診
MRIを撮影しなおしたり、心電図をとったり、麻酔科医との面談をしたり、輸血用の血液を採取したりと入院前に2回程、検査で病院を訪問しました。私は、積極的に入院を受け付けていない日曜日に入院したので、本来であれば入院が平日であれば一度に検査をまとめて受けれたのかな?とも思いました。生まれて初めての輸血用の採血(400ml)には、大変緊張。なぜか、私は血液の出がよくて、あっという間に目標の400mlの採取に成功。ただ、あまりに勢いが良すぎて、血を取り終わって針を抜いた後に事件が・・・・(;´・ω・)。看護師さんが、針を抜いた瞬間、驚くほど大量に出血!自分の血が、鮮やかにベットや床にだら~~っと広がり思わず「やばい、やばい!やばいです!」と思わず連呼してしまいました。恐怖ですね。医師と看護師さんが急いで、二人がかりで必死で腕を抑えてくれて、事なきを得ましたが本当に焦りました・・・・・。
入院するまでの2週間、仕事との両立はしんどかった!
私は脳腫瘍が確定してから実際の手術日まで約2週間でしたが、この2週間はなかなかしんどい思いでした。まず、必要な仕事の引き継ぎを完了しなければいけなくて、毎日9時~22時・時には23時くらいまで必死で働いてました。この時期に左目はますます視界不良になっていき、不安な気持ちは膨らみました。失明するリスクもある病気だと知っていたので、悪化することが怖かったです。後輩たちから相談される、アポ同行やMTG依頼も減るどころか増えました。もちろん断ることもできたのですが、全て引き受けてしまいました(笑)体力が落ちているからか、後輩と外出する時に、自分の歩くスピードが遅くなっており、ショックでした。
仕事は健康時と同じようにボリュームがあって、容赦なくて、でも、手を抜いたり諦めたりすることもできず。会社って結局、実力主義の競争社会だな…(どんな理由があっても仕事が出来なきゃ淘汰される)ということを体感したのと、結局、自分を自分で守ることが自分を強くするんだなと気づきました。辛い時は、ちゃんと自分を大事にして休まないと、と。じゃないと、どんどん業務に忙殺されて仕事溜めてしまうなと。そりゃそうだよ!!と突っ込まれるかもしれませんが、私は目の前の仕事にコミットし過ぎて、そんな当たり前のようなことを理解するのに、脳腫瘍で強制的に追い込まれる必要があったのでした。そのくらい馬車馬のように、必死で毎日駆けていたのだと思います。それは、哀れとも言えるし、充実してるとも言えますね。どっちでも良いですが。仕事は嫌いじゃない。人の役に立ってるという実感って自分を奮い立たせるから、ついつい頑張ってしまうのですが、自分を守ってあげる、ご機嫌をとってあげることって、必要な生き方なんだなと心から思いました。
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